小笠原 長昌(おがさわら ながまさ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国棚倉藩3代藩主、肥前国唐津藩初代藩主。官位は従五位下・主殿頭。忠知系小笠原家9代。

生涯

棚倉藩2代藩主・小笠原長堯の六男として誕生した。兄たちがいずれも早世したために世子となり、文化9年(1812年)の父の隠居により家督を継いだ。文化14年(1817年)に棚倉から唐津へ移封されるが、棚倉時代の莫大な借金のために藩財政が窮乏化していた上、移封による金も賄えなかったため、それを補うために領民に献金を求めたり、「御国益方役所」を設置したりして財政再建を図ったが、効果はなかった。また、唐津焼に白紋の雲鶴を作らせたのは長昌である。

文政6年(1823年)9月29日、28歳で死去した。長男の長行は幼少だったため、養嗣子の長泰(酒井忠徳の六男)が跡を継いだ。

系譜

父母

  • 小笠原長堯(父)

正室

  • 連 ー 水野忠光の娘

側室

  • 松倉氏

子女

  • 小笠原長行(長男)生母は松倉氏(側室)
  • 森忠徳継室

養子

  • 小笠原長泰 ー 酒井忠徳の六男



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