人民社会党(Partido Socialista Popular、略称PSP)はかつて存在したスペインの政党。1968年に大学内の組織としてPartido Socialista del Interior(内部の社会党の意、略称PSI)という名称で設立され、1974年にPartido Socialista Popularに改称された。党首は大学の教授であったエンリーケ・ティエルノ・ガルバン。1978年にスペイン社会労働党(PSOE)に合流した。

マルクス主義を掲げ、1977年の総選挙に社会主義統一(Unidad Socialista)という名称のもと社会主義諸党連盟(Federación de Partidos Socialistas)に参加していた諸党と選挙連合を結成して臨んだ。

選挙連合は816,582票(4.46%)を獲得、6議席を得、人民社会党は5議席を獲得した(3議席をマドリード選挙区で、カディス選挙区とバレンシア選挙区で各1議席)。残り一人はサラゴサ選挙区選出で、アラゴン主義と左翼を掲げるアラゴン社会党に属していた。上院では4議席を得た。2議員はPSP-USまたはUSの名称で(マドリード選挙区とアリカンテ選挙区)、残り2人は選挙連合に参加していたPSOEに属した(カディス選挙区とアルメリーア選挙区選出)。

国会内での勢力が小さいため、PSP所属議員はアラゴン社会党(PSA)所属議員とともに混合会派(Grupo Mixto)を形成した。上院議員4人は進歩主義・無所属社会主義会派に加わった。1978年2月人民社会党はスペイン社会労働党に合流することを決した。下院議員5人のうち4人は社会労働党の会派(Grupo Socialista)に加わったが、5人目のラウル・モロード(Raúl Morodo)は混合会派にとどまった。同様に上院議員も2人のみが社会労働党の会派に加入した。1979年の自治体選挙(elecciones municipales españolas de 1979)でエンリーケ・ティエルノ・ガルバンはマドリードの社会労働党筆頭候補となった。しかし、第一党とはなれなかったが、スペイン共産党(PCE)の協力を得て、フランコ没後の民主化後初の市長に選出された。

そのほかの有力メンバーまたはのちに重要な役割を果たしたものとしては、先述のラウル・モロード、ホセ・ボノ、フランシスコ・ソーサ・ワグネル、ホセ・ロペス・オロスコ、ホセ・ブランコ・ロペスがあげられる。

脚注


スペイン、5年ぶりの政権交代か 右派野党が左派与党に優勢 下院総選挙23日投開票:東京新聞デジタル

スペイン総選挙に見る「ヨーロッパ政治の右傾化」とその原因…物価高、移民流入問題、ナショナリズムの台頭 antenna[アンテナ]

スペイン総選挙、極右が第3政党に躍進 与党は過半数届かず 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

スペイン総選挙、与党勝利も過半数に届かず 新興極右が躍進 CNN.co.jp

スペイン総選挙 中道右派 野党「国民党」が第1党も… 新政権発足は難航か TBS NEWS DIG