吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5月1日 - 1948年(昭和23年)6月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県津久井郡吉野町長。

経歴

吉野十郎の長男として神奈川県津久井郡吉野駅(吉野町、藤野町、相模原市を経て現同市緑区吉野)に生まれ、1900年(明治33年)12月、家督を相続する。学習院から第一高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、台湾銀行に入行。同行秘書課勤務・助役補を務めた。

1931年(昭和6年)奉天にて事業を興し、満州中央銀行の創立に関わり、奥地開発や日満経済の連携に尽くした。また、醸造酒販売会社を設立し日本酒の中国進出を行った。中国の済南や青島にも土地を買い入れ盛隆を極めた。

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では神奈川県第5区から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。ほか、日本興業銀行行員、台湾銀行調査課長、同庶務課長、同秘書課長、東洋拓殖会社奉天支店長、奉天商業会議所会頭、哈爾濱取引所長、八王子醸造工業、昭和商会、興亜醸造各取締役、日本合金監査役を歴任した。

敗戦により海外資産を失った後は、残った資財で東京に帝国繊維株式会社を設立した。また、1946年(昭和21年)4月から1947年(昭和22年)3月まで郷里の吉野町長を務めた。墓所は相模原市緑区吉野の浄光寺。

親族

  • 父:吉野十郎(津久井郡長)

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995。 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139。 
  • 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。 

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